いつもはラジオを聴きながらだったり、YouTubeを観ながらだったりしながら朝食をとるのだけど、今朝はラジオを聴いたりYouTubeを観たりせずにぼけっと朝食をとることにした。
食パンをかじりながら、亡き母の姉である伯母のことを思い出していた。8人兄弟姉妹の7番目にあたる母は、子どもの頃に母親を亡くし父親は中学生の時に亡くしたそうだ。
そんな訳で、私が生まれた時に母は親のところへ里帰りすることができないので、母とは一回り年上の姉の家で産後のお世話になった。私が生まてから約2週間ぐらいだろうか?産後の母と生まれたての赤ん坊の私をお世話してくれた、そんな伯母のことを思い出していたのだ。
その伯母の子どもたち、要はいとこたちと私と兄とは年が離れていたせいもあって、子供の頃伯母とはそれほど合った記憶はない。
けど、その伯母の家に泊まる時はなんだかとても落ち着いたし、大きな愛で見守ってくれていたんだなぁと大人になって感じた。そして、どういうわけか今朝は特にそれを感じた。
あまり言葉を交わした記憶ないので、言葉ではなく伯母の「想い」というものが、空間ににじみ出ていたとしか言いようがない。
伯母のことを思い出したら、子どもの頃お世話になった人たちの愛を次々に思い出した。親戚のおじちゃんやおばちゃんたち、学校の先生やそろばん塾の先生、近所のおばちゃんたち、両親、父方の祖母、祖母のパートナーのおじいさん、そして会ったことはない母方の祖父母、ご先祖様。
こんな風に私の拙い文章にすると、なんだか嘘っぽく聞こえてしまうのだけど、私は沢山の愛に包まれて今の私があるのだなぁと、朝から幸せな気持ちになった。